雑誌『和樂』2017年6・7月号の竹工芸特集

 小学館の雑誌『和樂』、発売中の2017年6・7月号にて、竹工芸の特集が組まれています。取り上げられているのは明治23年に栃木に生まれ、大正から昭和の戦前戦後にかけて東京で活躍した竹工芸家 飯塚琅玕斎(Iizuka Rokansai 1890-1958)による竹工芸の作品です。

 

 私の仕事が掲載されているわけではありませんが、たいへん充実した内容で竹工芸を美術として取り上げた記事になっていますので、ここにご紹介することとしました。

 

 表紙の写真から分かるように「京都散歩主義」が大きな特集であるにも関わらず、ほとんど巻頭と言っても良いP.26-39に、本特集が大きく組まれています。『和樂』では数年に一度くらいのペースで竹工芸をこうして大きく扱ってくださるのは、その道を志す者としてたいへんありがたいことです。

 

雑誌『和樂』竹工芸と京都散歩の特集
雑誌『和樂』竹工芸と京都散歩の特集

 一般に広く認知されている「竹細工」や雑貨としての「竹かご」に比べると、日本では驚くほど影の薄い「竹工芸」も、その名前だけは少しずつ聞かれるようになってきました。とはいえ実際には前者の雑貨について、単に呼び名を変えて「竹工芸」と紹介しているだけ、という場合も多いようにもおもいます。(もちろん前者も魅力のある品々であることは言うまでもないことながら、呼び名としてはちがうなと個人的には捉えています)

 

 そうしたなかで、今回の記事「世界が愛した、飯塚琅玕斎の竹籃」はまさしく「竹工芸」の特集で、近代以降の竹工芸の歴史のなかで、最高の技量と美意識を兼ね備えた作家であった飯塚琅玕斎の、なかでも一級レベルの作品が大きな写真とふさわしい文章で紹介されています。

 

「世界が愛した、飯塚琅玕斎の竹籃」
「世界が愛した、飯塚琅玕斎の竹籃」

 琅玕斎の作品は、帝展などに出品されたいわゆる真の作品から、一見すると民具や民藝とも近しいように見える草の作品、両者の中間となる行の作品と、多彩な表現に卓越した技量が見られるものです。

 

 つぎの写真右の「花籃」は、国内での琅玕斎や竹工芸史の展覧会では必ずと言って良いほど展示される名品ですが、格調高い千筋で構成された上半分と、反対にややくだけた民具のような下半分とが破綻なく纏められている、稀な作品だとおもいます。

 

 いま見ても斬新で高度な作品群を、半世紀以上も前に一人で(工房のお弟子さんが多く関わっていたであろうとはいえ)数多く作り出し、それだけの仕事を求められる環境をも自ら作りつづけたことは、現代から振り返っても驚くべきことです。

 

飯塚琅玕斎作「花籃」『和樂』P.28
飯塚琅玕斎作「花籃」『和樂』P.28

 今回の『和樂』では、「和楽の逸品」として幾つかの琅玕斎作品が誌上販売されています(ウェブサイトからも花籃『千條』ほか数作品が販売)。リンク先には、ご覧のように相当の高額と考えられる価格がついています。私自身も、もちろんとても購入できません。

 

 しかしながら、琅玕斎による竹工芸の作品は存命中から今以上に高価でしたので、本来の美術的価値に古美術的な価値を加えると、必ずしも高いとは言えないようです。日本の工芸であればたとえば陶磁器・やきものの世界、海外であれば彫刻や絵画などの価格と比較して考えれば、それは頷けるところですし、つまりそういったものと同列に評価される方々の間で取引がされています。

 

 その証拠に「高くない」と考える海外のコレクターの方が、つぎつぎに買ってゆかれているあたりは、かつての伊藤若冲などを巡る状況に似ているかもしれません。

 

 竹工芸について記された一文を記事より引用します(P36)。「竹工芸は何千本という中から竹を伐り出し、そこから3年間寝かせ、割って、編み上げます。大量生産できないし、材料も高いため、パトロンの応援あってこそ、力の入った作品もつくれるのでした」

 

 材料が高価であることについて、ふだんことさらにアピールはしづらいのですが、記事にして頂けると、安くはなりませんが心は少し安らぐような気がします。

 

『和樂』誌上で琅玕斎の作品販売も
『和樂』誌上で琅玕斎の作品販売も

  幸か不幸か、琅玕斎が人生を終えてよりしばらくして、竹工芸の黄金時代も終わりを迎え、このような高価な美術品としての竹工芸が多く必要とされる時代ではなくなりました。

 

 そうした時代にあってなお、私のような未完成の作家にも、時代錯誤にも飛び込んでしまった竹工芸の道を歩みつづけられる仕事をいただく機会が途切れずに訪れること、しかも海外の蒐集家だけでなく日本国内でも求めてくださる方がいらっしゃることは、幸いなことといつも感じていますし、またこの記事を手にして改めてつよく感じるところです。

 

 私自身は、竹工芸と呼べるような作品づくりだけでなく、現在はもっと日用の道具であったり、あるいは茶の湯の道具をつくることの比重が大きくなっています。それらに優劣をつけて考えてはいませんし、ひとつに絞る必要もないと考えていますが、目先の仕事に追われて初心を忘れがちな日々ゆえにこそ、おりおり最高の仕事に触れて襟を正す、先日の『茶の湯』展とともに、そうした機会のひとつになりました。