復刻の竹籠 自分のなかの歴史をよむ

 5月に入ってから、おなじ形の竹籠を、やや数多く作る日々です。10年ほど前から断続的に作ってきた、とある拙作の籠をもとに、半分はあらため半分は復刻のつもりで新たに形づくっている籠です。

 

 先日、私が竹工芸の道を志してから15年が経ったと記しました。10年前といえば初心より5年、少しは竹工芸が仕事にもなろいうかという段階で、まだまだ竹とは関係のない仕事で生計を立てていた時期です。

 

 当時は大きな会社の末端に属し、電車通勤と8時間労働を勤めてから夜に竹工芸の勉強をする日々でした(繁忙期以外にはそれほど残業をする必要もなく、勤務日の融通もきく恵まれた労働環境だったことに感謝します)。

 

下拵えの竹ひごと小刀
下拵えの竹ひごと小刀

 昼休みは、社員食堂や社屋の屋上で持参の弁当を素早く腹におさめ、残りの時間を読書や竹籠のアイデアを練ることに費やしていました(ときに仲の良い社員の人と世間話を楽しむくらいの社交性をもちつつ)。手帳にメモ紙を何枚か挟んで、そこに簡単なイラストを毎日描きためることが当時の日課。

 

 漆芸の分野においてかつて重要無形文化財保持者でいらした松田権六さんの著書『うるしの話』(岩波文庫)には、若き日の氏が、蒔絵の図案を毎日一点欠かさずに描くことを自らに課していたことが記されていました。ペンキ職人で生計を立てていた頃の氏の日課に、私も倣ったというわけです。

 

 漆器の蒔絵とは異なり、立体の竹籠の場合には、イラストに描くことができても実物の籠として構成できることはあまりありません。また、うまく籠になったとしても実際に使えるともかぎりません。それでも数多く考えておけば、ひとつやふたつは形になる可能性があります。

 

 そうしてたどりついた私だけの形を、二十代のうちに幾つか生み出すことができたのは、いまから振り返ってみると、大きな意味があったようにおもいます。

 


 二十代後半に作っていたそれらの籠も、いまはほとんど作らなくなりました。時が経てば美意識や仕事のやり方に変化が生まれます。

 

 ところが、最近になってから、竹籠についてのご相談を受けたり、あるいは新しい籠についてじぶんで考える際に、昔の自分の籠のことが思い出されることがあります。ここを少しアレンジするとずっと良くなるなとか、この部分の手法はべつな籠に使えるなとか、以前とは異なる回路で組み直す素材として、また私を助けれくれます。

 

 むかし愛読していた書物に、歴史学者の阿部謹也さんの『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)という本がありますが、一文字かえて「自分のなかの歴史をよむ」ことで、新しいアイデアが生まれてくる、そんな体験から、短いようでそこそこ長い歴史が自分の中に積み重なってきたのだなと、感慨にふけったりも。

 

.......感慨にふけるうちに、本題から遠くなってしまいましたが、自分の籠を復刻したあたらしい籠は、6月の末か7月のはじめ、ふたたび世の中に出すことができるのではないかと、考えています。