工芸家にとっての贅沢とは、良材と出会い、存分に仕事に用いること

 

 振り返ってみればお恥ずかしい話ですが、竹工芸家になる以前、あるいは工芸家になろうと志す初期において、工芸家というのは贅沢な暮らしをしている人々だと想像していました。

 

 工芸の作品はふつうに流通しているプロダクト製品に比べてずっと高価ですし、昔の雑誌の記事や、書物で読む工芸家の随筆などからは、風雅な暮らしぶりが想像されたものです。

 

 しかし、あれから16年半ほど経ってみて分かったのは、どうやらそれは昔の話だったらしいということ。ここまではまことに残念なお話なのですが、べつの意味での贅沢が、我々の手元にはまだ残されています。

 

 すなわち、工芸家にとっての本当の意味での贅沢とは、良い素材と出会い、それを存分に仕事に用いること。これです。


下拵えを済ませ出番を待つ煤竹の整列|Fujifilm X-T20 & XF18-55mm
下拵えを済ませ出番を待つ煤竹の整列

 2002年にこの道へ進んでから、いわゆる「良い時」というのは今のところまだないわけですが、ときどき訪れる「ちょっと良い時」に背伸びをして、古材の煤竹を中心に上質の竹を少しずつ集めてきました。

 

 今年これまでのふたつ個展においては、それらの素材の蓄えがあったことに助けられましたし、お陰様で個展が成功したことで、また新たに素材を求めることもできました。

 

 仕事をするために良い素材を集めるのか、良い素材を手に入れるために仕事をするのか、順番が分からなくなるときもあります。が、そんな順番はどちらでも良いと思うようになりました。良い竹を買うために仕事をする、そんな転倒もわるくないでしょう。

 

 良い仕事をすることで、つぎの良材と出会い、ふたたび手を組む切符が与えられること。その循環が途切れることなく続けられるならば、これこそが工芸家にとっては最高のそして唯一の贅沢なのだと、いまはそのように考えています。

 

 

個展「茶杓を削る、籠を編む」は12月8日より