自分の籠に歴史をよむ

 

 この年末年始、過去に作った自分の竹籠を出しては、ひとつひとつ眺めて過ごしました。

 

 2002年にこの道へ進んでから、はじめの3年は純粋に勉強の期間(ほかの仕事で生計を立てながら)、その後、竹工芸を仕事にするための模索をしつつ自主的な勉強もつづけ、もちろん昼間の仕事もつづけるといった時間が、当初おもっていた以上に長くつづきました。(さいわい職場はよい人ばかりのよい会社だったので、長くお世話になりましたことを、いまでも感謝しています)

 

 竹工芸という分野は、制作そのものの難易度の高さに加えて、仕事として成立させること自体がまずなかなか難しい仕事です。よいものを作ろうとすればするほど、金銭とは縁遠くなります。どの仕事でもあることだと思うのですが、竹工芸もやはり仕事として成立しづらい部類の職業のひとつではあると思います。

 

 かつて、かなり年上の先輩達(年齢の近い先輩はいなかった)にお話をうかがう稀な機会においても、若者からおじさんになろうとしていた私への助言は「竹工芸は仕事ではなく趣味にしておきなさい」「よい時代は終わったから、やめたほうがいい」という、事実だったとは思いますが、まったく希望のない言葉ばかりで、絵に描いたような「憂鬱」を抱えて生きていたことが思い出されます。

 

 近頃はインターネットが発達したお陰もあり、よい仕事をすれば見つけて頂く機会も得やすい環境が整ってきたことは、作家にとって一面ではたいへん幸いなことだと思います(逆に仕事の準備が整う前に見つかってしまうケースもあるでしょう)。

 

 また、日本文化や日本の伝統工芸、手仕事の良さが見直されつつある機運も感じます。こうした傾向から、これから竹工芸、竹細工、そのほか工芸の道へ進もうという方にとって、以前よりは活動のしやすい状況になってきたのではないかと思います。


透しの網代編みを組み合わせた盛器の試作(2005)
透しの網代編みを組み合わせた盛器の試作(2005)

 もうじき、私はこの道へ進んでから丸17年を迎えることになります。さいわい他の仕事に時間を奪われることもなく、皆様のお陰でなんとか職業として活動をつづけることができています。ただし、今のままで良いとはおもっていません。むしろ、今のままではだめだとおもいます。

 

 前回のブログに記しましたように、次のレベルへ進まねばならない時期です。それはあと1年余りで私が四十という年齢を迎えることもひとつの理由ですし、それ以上に作家として日々、より高く向上をしてゆかねば、この仕事をしている意味がないのではと、以前よりも強く感じるようになりました。そして、これから工芸の道へ進む若いかたへ向けても「よい仕事をすれば将来は明るいです」と示せるように、という気持ちも芽生えてきました。

 

 よりよい仕事を成して、残してゆくこと、それは手先の技だけでできることではありません。「心・技・体」という言葉がありますが、三つすべてを高めてゆかねばなりませんし、いまだ私のそれはまったく不足しています。

 

 これまで以上に「心」と「体」について、初心にかえって意識をする日々になります。私が本当につくるべきもの、それは形としての竹籠のみならず、心と体をつよくするための「日日」なのだと、思い至った2019年の年頭です。