歴史学者の友人との約束から

 

 早いもので、もう二月です。

 

 昨年末に、高校の同級生と久しぶりに会ってから、もう一月が過ぎたのですね。将来は歴史学者になると、高校生の頃にすでに決めていた彼は、現在はタイのチェンマイの大学で教員をしつつ、日夜、歴史学あるいは人類学の研究に没頭しています。(彼のブログはこちら

 

 私の数少ない親しい友人の一人で、ときどき日本に帰国する折が、彼と再会する数少ない機会です。

 

 年末の冷たい空気の東京都心を、半日ほど一緒に歩きました。互いにカメラを持参するという約束をして。


虎ノ門のTORANOMON KOFFEEにて
虎ノ門のTORANOMON KOFFEEにて

 正午に東京駅で待ち合わせて、最初に向かったのは虎ノ門。互いにカメラを片手に、歩きつつ、撮りつつ、TORANOMON KOFFEEを目指しました。

 

 TORANOMON KOFFEEは私がかねてから訪れたかったお店。オフィスビルの中にある、現代的な趣のカフェですが、意外にリラックスできる心地よいお店です。ドリップコーヒーをゆっくりと楽しんでから、ふたたび厳寒の丸の内へ。


暖かなタイから帰国した彼には、東京の寒さがひとしお
暖かなタイから帰国した彼には、東京の寒さがひとしお

東京駅周辺、丸の内の変貌を見つめる友人
東京駅周辺、丸の内の変貌を見つめる友人

 本屋に行きたいという彼のリクエストで、東京駅前の丸善へ。一時間後に待ち合わせという約束をして、すぐに別行動。一時間後に彼が手にしていたのは、人類学の本です。

 

 彼と歩きながら話したことの中心は「ART」について。

 

 ふつうに、日本語で使われるときの「アート」とは少し意味合いを異にする、生きる技術としての「ART」。それは彼の研究のテーマであり、私の仕事のなかにある、ひとつの核でもあり。

 

 「カタカナで通常つかわれる『アート』って、ときとして『(笑)』のニュアンスが含まれてしまいがちな、多くの人にとっては距離感のある用語で、もっと相応しい日本語訳を用意できないだろうかね』などと話しながら。


友人が撮った背中と丸の内
友人が撮った背中と丸の内

私が撮った背中と丸の内
私が撮った背中と丸の内

 「ART」が「アート」に変換される時の、ある種の陳腐化についての打開策を真面目に話しながら、最終的には私たち二人も「そろそろアート(夕飯)の時間だな」「ふさわしいアート(お店)を探すとするか」などと、わざと茶化しながら陳腐化の促進をしてみたりと、気分は学生に帰ってゆくのでした。


彼はPENTAXの一眼レフを持参し
彼はPENTAXの一眼レフを持参し

私は富士フイルムのミラーレスカメラとフィルムカメラの二台
私は富士フイルムのミラーレスカメラとフィルムカメラの二台

 ところで、彼のブログによれば、彼と私の会話の中では、ひとつの約束が交わされたそうです。

 

 いわく「ブログを毎日更新する」という約束。

 

 私はたしかに彼に言いました。ブログは短くても毎日更新した方が良いと考えているのだと。その話をしたときに、彼は「そうか」などと、あまり気の無い返答だったように感じたのですが、年が明け、正月が明けたときに、私はあることに気がついたのです。

 

 「あ。こいつ、ちゃっかり毎日更新しているぞ」と。気のないそぶりで油断をさせて、私を出しぬき、しれっと一ヶ月間更新しつづけた彼。じつに油断のならない男です。

 

 お陰で、ことしの私は彼のブログを毎日読むことができる楽しみを得ました。そして、私の手元には、まだ現像をしていない一本の35ミリフィルムがあり、すっかり忘れてしまった36回の瞬間を目にする楽しみがあります。

 

 つぎに彼と会うときまでに、私と彼のどちらが、よりよい「ART」の翻訳を用意できるでしょうか。