竹の仕事が国産であることは、竹工芸家の自分でもすぐ忘れてしまう

 

 竹を割って、細い竹ひごをつくっていると、しばしば日本蕎麦を思い出します。唐突な話ではありますが、実際なんとなく似ているのです。

 

 もちろん、竹ひごのほうがずっとコシが強くて硬いので、手で触れば蕎麦とは似ても似つかないのですけれど、なんとなく親近感はあるのです。

 

 ところで、お蕎麦をいただくときに「国産の蕎麦粉のみを使用した」などと言われると、有りがた味というか貴重なイメージをもちます。他の食べ物や、あるいは他の仕事、たとえば電気製品のようなものでそれは同じです。

 

 「国内の工場で徹底した製造管理を行った」「Made in Japanのクオリティ」などと言われると、性能が良さそうな気がしますし、実際にそうであることは多いと感じます。

 

 じぶんの仕事に戻って考えてみると、日本の竹を用いてメイド・イン・ジャパンで作っているのは当たり前のことなのです。当たり前すぎて気にもしていないのです。


細い竹ひごの手打ち蕎麦感:Fujifilm X-Pro2
細い竹ひごの手打ち蕎麦感

 竹籠を編む場合には、一部分に、日本では採れない異素材を用いることもありますが、そういった例外を除くと、竹籠のほとんどの部分は日本の竹でできていて、竹そのものは純国産でまかなわれているわけです。

 

 竹籠の目方の99パーセント以上が日本の竹で出来ていて、それらは自然の素材で、人間の手づくりで、しかも竹を育てて伐り出して加工し最終的に籠などに仕上げるまでの工程を、一貫して日本国内で行なっているというのは、よく考えてみたら、仕事のあり方としては極めて特異なことであることをたまに思い出します。そもそもMade in Japanと呼ばれるものでも原料や部品は輸入している、といった産業は当たり前にあるわけですし。


ここから竹ひごを薄く仕上げます|Fujibilm X-Pro2
ここから竹ひごを薄く仕上げます

 竹の仕事においては、そうした極めて特異な有り様が、意識もしないほど当たり前になっていることは、ある面では幸いですが、ある面では危ういことであるなと感じます。

 

 Made in Japan が当たり前ではないと認識されている分野では、それらは特別なプロダクトとして特別な価格が付いていることと、ちょうど正反対のことが竹の仕事では続いているわけですから、良い面の裏には反対の面としての歪があります。

 

 将来に、日本の竹工芸・竹細工が外国の材料で作られるようになることは、おそらくないと思います。

 

 希望的観測ではなく、そのときには地上から消えるという意味です。特に製品としての竹細工という分野においては、産地から離れた素材をつかうことは難しいと考えられます。竹は生息地によって性質が異なりますので、輸入の素材では同じものは出来ないということ、また輸入すれば材料費が高くつきますので成り立たないということが理由です。ですから日本の竹が手に入らなくなった時点で、多くの仕事は成り立たなくなると考えられます。

 

 竹工芸の素材となる美しい竹を育てる、つくる仕事は、必要とされる仕事であり、やりがいのある仕事だと思いますが、次世代の人々が継ぎたいと思うような対価の得られる仕事として継続してゆけることが、これから最も大事なことになると思います。

 

 そのことは、ときどき思い出して、自分でも意識をし、ここにも記した方がよいと考えています。そんなこともあって、このところ素材の竹の話を書いています。

 

真竹の白竹のこと

 

真竹の煤竹のこと