煤竹箸の現在と今後について

 

 

 4月11日からはじまる個展までに煤竹箸を用意することができそうです。

 

 個展へもってゆくぶんと、以前からお引き受けしていたぶん、それで箸に使える煤竹は手元の材がほぼなくなる見通しです。その後はしばらくお休みか、できたとしても材料を仕事場の隅々からかき集めて数膳、といったことになるとおもいます。

 

 個展へ何膳もってゆけるかは分かりませんが、あるだけ漆を重ねて仕上げてゆきます。


煤竹箸は4月11日からの個展へもってゆきます(Fujifilm X-Pro2)
煤竹箸は4月11日からの個展へもってゆきます

 

 私が仕事で用いる煤竹は、百数十年以上を経過した古材です。

 

 煤竹の来歴についてご説明する際には、その経過年数について日本語では「百数十年」、英語では「Over 100 years」といった言い方をしております。これらは控えめな言い方であって、実際には200年前後またはそれ以上の年数を経過したと思しき場合も多々あります。

 

 なにぶん長い時間であり、確かなことは分かりませんので、間違えても問題がないように、控えめにお伝えをしています。

 

 人間で言えば、祖父母の祖父母、それより年上くらいになるでしょうか。


煤竹箸を個展でお手にとっていただきたいとおもいます(Fujifilm X-Pro2)
煤竹箸を個展でお手にとっていただきたいとおもいます

 そうした古い煤竹は年々貴重になる素材であり、とくに箸につかえるような太くて肉厚の煤竹は、もはやほとんど手に入りません。資料用にとっておいた竹を材として使うことを昨秋に決めて、それを使い切ると、当面は私の箸の素材はなくなります。

 

 今後も、よい材と出会う機会が訪れた場合には、手に入れたいとおもっておりますが、こればかりはご縁ですので分かりません。

 

 同じく煤竹を用いる仕事でも、茶杓や菓子切りについては今後も削り続けます。とくに茶杓については一層力をいれてゆきます。それらの煤竹も貴重なものですが、箸の竹とは寸法が異なるもので、しばらくそちらへ力を振り向けて材を集めてきましたので、当面は継続可能な状態です。

 

 煤竹の百年、二百年という時間は、通常の樹木の樹齢とは異なり、日本のいわゆる古民家で幾世代もの人間の暮らしとともに経てきた年数です。竹林に生えている竹は、地上部分は十年ほどで枯れてしまうため、人間が伐った竹だけがあたらしい形で生きながらえることができます。いまは茅葺き屋根の家での暮らしがほとんどありませんので、煤竹が新たに生まれることはありません。

 

 私は積み重なったその時間を仕事のために一方的に消費するばかりで、再生産をすることができません。そんな暮らしかたで良いのだろうかと、ふと思うことはしばしばあります。

 

 とはいえ、いまからしかるべき土地を求めて茅葺き屋根の民家を建てたり、古民家を求めてそこに暮らしつつ仕事をするのも、なかなか容易ではないことで、せめて手に入った材を無駄にしないように使うことが、今の私にできる精一杯のことです。

 

 竹を扱う仕事をするなかで、日々、矛盾したものを感じながら、一直線に生きた竹の力にいまは頼っています。

 

4月11日よりの個展について は左のリンクに記しました。漆で仕上げた煤竹箸を会場でじかに触れていただき、その時間と歴史を感じていただけましたら幸いです。