茶杓に銘をつけることについて、しばらく遠ざかりました。
そして、ふたたび銘をつける機会がときおり。
![煤竹旅茶杓「宙」(共筒) 竹工芸家 初田 徹 作 (売約済み)](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=670x10000:format=jpg/path/s322cb8739deb5d3c/image/i9eb40b9b47f1e071/version/1637564314/%E7%85%A4%E7%AB%B9%E6%97%85%E8%8C%B6%E6%9D%93-%E5%AE%99-%E5%85%B1%E7%AD%92-%E7%AB%B9%E5%B7%A5%E8%8A%B8%E5%AE%B6-%E5%88%9D%E7%94%B0-%E5%BE%B9-%E4%BD%9C-%E5%A3%B2%E7%B4%84%E6%B8%88%E3%81%BF.jpg)
銘からいったん離れたのは、根本的には作り手としての慎み、または畏れから。ほかの諸道具、作家としての制作物の場合と比べてみて、とりわけ茶杓においては、銘をつけることが意味を持ちすぎることに対して。
いったん離れて、しばらくの時間経過と多くの機会を経て、また新たに銘との関係性が生じてきました。
![煤竹旅茶杓「宙」 竹工芸家 初田 徹 作 (売約済み)](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=670x10000:format=jpg/path/s322cb8739deb5d3c/image/i1fa4ef0fc2de68f7/version/1637564327/%E7%85%A4%E7%AB%B9%E6%97%85%E8%8C%B6%E6%9D%93-%E5%AE%99-%E7%AB%B9%E5%B7%A5%E8%8A%B8%E5%AE%B6-%E5%88%9D%E7%94%B0-%E5%BE%B9-%E4%BD%9C-%E5%A3%B2%E7%B4%84%E6%B8%88%E3%81%BF.jpg)
ひとつには求められる機会、外からの要請によって。もうひとつには自分の内での言語化についての意識の変化、出力の試行があります。
人との関係性から生まれる言葉、あるいは言葉から生まれる関係。いまはそれらを楽しみながら。